2016年12月22日木曜日

子供が出来て、スペインから栃木の山間の町へ来て、面白そうな仕事も無く、何か長く続けられる仕事が良いなと考えたとき自分である(自分から離れない)仕事なら死ぬまで出来ると思ったが飽きっぽい性格なのでとりあえず木工機械を買って逃げられないようにして始めた。
一人前になるには最低10年はかかるだろうなと漠然と思っていて、そのときのイメージが年寄りになっても小さいものをちまちま作り続けているようなものだった、それなら体力が無くなっても続けられる気がした、その後平飼い養鶏場を手伝ったりしながら独立した。

2016年12月19日月曜日

制作はひたすら集中して線を研ぐだけ。

2016年11月23日水曜日

伐採


葉っぱも落ちて木が水を吸い上げなくなるこの時期は材料調達のため山で木を切ったりする、100年近く経っている思われる太い漆の木が根っこから人家へ倒れたのを処分がてらいただく、漆の寿命はこのくらいのようだ、先日はエンジュの木を切りにいく、バックホーがあったから助かった、結構たくさんあった、樹皮を剥いで生のうちにある程度加工して乾燥させておかなくては、使うスピードが遅いと割れたり虫が入ったりしてしまう、なかなか都合良く適量とはいかないものだ。






 

2016年11月11日金曜日

くらわんか

Tatami antiquesの奥村さんのくらわんか数百円のものをギャラリーで購入、こんな感じでで数百円なのに他のものに使う数百円の何倍も満足感があるのは手に入れるプロセスの等が関係しているのだろうか?新しい発見。





2016年10月3日月曜日

クリストの講演

クリストの講演を聞きに水戸芸のそばの文化センターに8歳と15歳の息子達を連れて行く、九年くらい前にクリストとジャンヌ=クロードが水戸で行った講演を聴きにいった以来だった、そのとき初めての彼らのプロジェクトの内容を知り桁が違う人というのを初めてまじかに感じた、彼らにとって自由というのが中心にあるようで政治、階級、人種、国、個人、共同体、私的、公共的、刹那性、永続性、都市、地方などいろいろな相反したりする事の間を行き来し、またそれらを含みながら、『プロジェクト』という何の役にも立たない事で昇華する、それについてのデッサンを描きそれを売った何十億というお金とすべての労力を注ぎ誰も所有できない数日で終わるというプロジェクトはいろいろな意味での大きさを感じた。奥さんのジャンヌ=クロードは亡くなってしまい、クリスト一人の講演だった9年前と同じ格好で元気そうに話した、9年前計画していたオーバーザリバーは周囲の反対などでまだ実現できていないらしく自分の仕事を振り返り、後は質問と言う以前と同じ形だったが話の上手な素晴らしい奥さんがいないので私にとっては新しく感じる事はあまりなかったが子ども達が見られたので良かった。





2016年9月25日日曜日

バスツアー

遠いのであきらめかけていた静岡のクレマチスの丘で開催中の『生きとし生けるもの展』を見にほとんど生まれて初めて第一回open museum project主催のバスツアーに参加、乗車時間ギリギリに着いたりサービスエリア休憩の集合時間に遅れたり自分がどれだけ時間で動くことから遠ざかって生活しているか実感した、あいにくの雨だったが参加者も良い感じの方が多く自由度も高く充実して良いバスツアーでした、ただ展示に関しては個人的に心に入ってくるものではなかった、美術館が作ったテーマに作家を押し込めているような印象やなにかうまく言えないが理にかなっていないような主催する側の意図が感じられてしまった。




  

2016年9月12日月曜日

一つ一つの作品が駄作でだめな人格を表していても何百何千と揃えばなにかを示せないとも限らない。

須田さんの工房へおじゃましまして確認したのはいろいろと自分に合わせて製作行程などをカスタマイズしなくてはマニュアル通りにやっていても食えない事。

2016年8月3日水曜日

SNSなどの写真では主に見た目なのでうつわなど使って見て分かる物の良さは伝わらないのが良いなと思う。

2016年7月11日月曜日

若者等はしなやかに速い時代の変化に適応出来るけれど年を取ると変化についていけなくなって何歩か遅い政治に関心が移っていくのかもと思った。

2016年4月28日木曜日

好ましさ=経済的価値

2016年4月26日火曜日

色にならない色

色にならない色というのがあってそれは微妙な心の襞に触れたり。

2016年4月22日金曜日

田中功起展

水戸芸術館の田中功起展へ
コミュニティの中、価値観の違いのなか普遍的な所を指しているように感じた、分かりやすい部分と分かりにくい部分のバランスがよく、どこにアートがあるかの所在について正確にわかっているのがすごいと思った、たぶんその所在を嗅ぎ当てるにはある繊細さが必要になると思う。

2016年4月7日木曜日

求めなければ与えられることもない。

2016年4月3日日曜日

Tatami antiques

江東区 白河の幾何でやっているtatami antiquesの展示を見に行く、最近商品と作品について考える機会が多い、本質的には同じかもしれないけれど物の持つ意図で変わると思う、そこにある物は値段はあるが商品と云うより作品に近い印象。

村上隆展

去年の暮れ村上隆展を見に行った巨大なものから小さいものまで大規模な展示で見ごたえがあった。アートでは作者の意図を越えた偶然性が画面にあったりするところが細部まで人工的に描かれているように感じた。密度の濃いエネルギーを感じた、巨大で空っぽな現代消費社会を体現してるのかと思った。

モランディ展

地方の町で机の上の埃の被った形と近所の風景を生涯描き続けたモランディの展示を東京駅のギャラリーに見に行った、その並外れた繊細さと洞察力は日常のありふれたものも突き詰めればすごい世界に繋がっているということが感じられた。原始レベルで描かれているような幻のような印象。

2016年1月31日日曜日

展示

うつわノートでの古道具の展示へ行った、展示品がもともと持っていた意味や意図するところなどは時間の経過や集めた人の解釈などによって本来の意味があるべき場所が何かぽっかり空いて言葉にならない神聖さが置き換わっているような感じがした。
自分が感慨を受けた物を思い出してみると初期の頃のFFのバグ、ニーチェの悲劇の誕生やクリストのプロジェクト、オテイサの表現などが繋がり自分の立ち位置が明確に確認できた展示だった。

2016年1月22日金曜日

賢さ

最近、Googleや高齢化などもあってか昔より自分も含め人が考えなくなり幼稚になっているように感じていた、けれどまさに自分の無知で分からないうちに賢さの軸は違ったところにすでに移動している気がしてきた。