2023年6月21日水曜日

 短期的に見ると人間は植物を除草剤で枯らしたり、切ったり植えたり自分の意のままにできる弱いものと考えるけれど長期的に見ると人間が滅んでも植物は繁栄するだろうし結局勝者は植物なのかもしれない。

2023年6月15日木曜日

 毎週月曜日にゴミ出しに行く事とブラックホールの衝突が地続きの現実だと感じられたら、それらを繋げて表現できたら凄い。

2023年6月8日木曜日

 幼年期は特に意識しなくとも全身で外部の微妙な音、匂い、触感など感じ取れるけれど、歳をとるにしたが意識的に感じようとしないと感じられなくなっていく、時間の流れが歳と共に早く感じられるのは今の瞬間の厚みを感じられなくなって目まぐるしく表層を滑る生活になってしまうというのもあるのかも知れない。

もし意識的に今を感じ取ろうとすると必然的に余計な物を省いた生活になっていく様に思う。


2023年5月31日水曜日

 手作業で商品を作るというのは労働の経済活動という側面からは矛盾している様に思える。

2023年1月18日水曜日

 人を否定しなければ自分の正しさって証明できないものなのかな?

2022年12月23日金曜日

 何かを否定、批判し自分が正しいとして自分の領域に導き、そこでマウントを取ると言う手口をよく見る。

例えば白い砂浜、椰子の木、ビーチパラソル、青い海と空などから想起される情景などほとんどの人が理解できる感覚があり、その感覚をどれだけうまく表現出来るかと言うのは分かりやすく順位をつけやすいように感じるがあまり創造的ではないように思う。

分かりやすいイメージの組み合わせから今まで感じた事のない匂いのような感覚を発生させる事などの方がまだ面白い。


2022年9月9日金曜日

2022年9月8日木曜日

李禹煥展

李禹煥展へ、何もないけど強く大きい様な。
普遍性に関する展示。



 

2022年7月6日水曜日

 目の前の風景には無限の段階があり毎日の自分の状態で合うピントが違う。



2022年5月16日月曜日

胡桃の木

 数年前にいただいた胡桃の苗木を植えたところ大きくなり葉が芽吹き出すころから色々な虫やカエルなどの拠り所になる、何もないところから有機的立体物が発生してバラバラな生き物が集う様が興味深い。






2022年2月15日火曜日

万象さじ

マヒトゥザピーポーのHoly dayの森羅万象と歌っている所の感覚は自分の作っている万象さじの感覚に近い気がする。
動画ではイメージが限定的になりがち

2021年11月22日月曜日

 鉄クズを取りに来た同じ東アジア人の仕事を見て汚れ仕事で大変だなと思っていたら私の作業を見て憐んでくれたのか缶コーヒーをくれて自分の客観性の無さを感じた。





2021年10月11日月曜日

 善光寺の木仏、製作者が完成させた後も変化し続ける、完成は無くも思える。



2021年10月6日水曜日

ピピロッティ・リスト展を水戸芸術館で観る、ビデオアートは立ってみるのと寝転んで観るのでは作品の見え方がこんなに違ってくるのだという事や肉体(胎内)、自然、テクノロジー、ジェンダーなど考えさせられ興味深かった。





 誰かを尊敬する事で学びを得る、色々な人を尊敬出来る人はそれだけ多くを学べる、尊敬出来る距離を保てば。

2021年10月1日金曜日

人との距離

 『遠くから見ると美しい富士山も登ってみると岩だらけの殺風景な所』というように人も畏敬の念を抱けたり美しく見えるちょうど良い距離があるのだと思う、近くへ寄るとお互いの自我が本質を覆ってしまっていて見えなかったり。




2021年9月9日木曜日

 

益子陶芸美術館の黒田泰三展へ。李朝を現代的解釈したような白い作品になる以前のものもあって興味深かった。自分の内面を深く探っていく禁欲的な姿勢は禅やミニマリズムと繋がって欧米からも理解しやすそうに思った。一人で篭って自分の内面を深く探っていくという作家像に何か違和感を感じたのは時代のせいなのかもしれない。


2021年8月19日木曜日

少しの遠出

 午後から少し遠出して山間部の町へ。このご時世では見ているようで見ていない、分かっているようで何も知らない目の前の現実やそういうものだと思い込んでいる事柄など足元をよく見て、捉え直すことが理にかなっているように思えた。